靖国神社のわきにある博物館、「遊就館」。
数多くある展示物の中に、一通のラブレターが保存・展示されています。
それは75年の時を経てなお生き続ける「愛」を、静かに伝えてくれます。
【日本人の物語③】 ~75年目のラブレター~
大正5年(1916)、8人兄弟の四女として宮崎で生まれた貴島テル子さん。
24歳の時、海軍航空隊のパイロットである政明さんと結婚します。
親の猛反対を押し切っての恋愛結婚でした。
しかし昭和16年、太平洋戦争が勃発。
軍人の妻として生きる覚悟をしていたテル子さんですが、昭和17年に夫 政明さんはソロモン諸島で戦死。
結婚わずか11ヶ月、一緒に過ごせたのはわずか75日でした。
遺骨の代わりに送られて来たのは、政明さんの自筆の遺書でした。
“最愛の照子へ
私が死んだらあなたの思うように生きて下さい。
いい人が見つかったなら、決してためらってはいけない。”
最愛の夫を失い絶望のどん底にあったテル子さんは、その遺書を見てある決意をしました。
“夫は形がないだけで、まだ自分の胸の中に生きている”
と、再婚などは全く考えませんでした。
政明さんの父親は開業医でした。本来、長男である政明さんが跡を継ぐはずでした。
テル子さんは、亡き夫に代わり医者になる事を決めたのでした。27歳の時でした。
女学校を卒業してからの9年間を取り戻すため、血の滲むような猛勉強をし、33歳で医師免許を取得しました。
そして54歳で小児科医として開業。小児科医を選んだのには理由がありました。
テル子さんは、夫との間に子どもがいなかった事が、結婚生活唯一の心残りでした。
なので世の中のお子さんを、自分の子供のように診ようと決めたのです。
開業して40数年。親子2代でかかっている方も多く、近所の方にとってとても心強い存在になっています。
子どもを診ている時が一番楽しいと語り、「一生勉強」と今もなお最新医療の勉強を欠かしません。
御年97才、国内最高齢の現役医師として今もご健在です(2014年時点)。
そんなテル子さんが、とても大切にしているものがあります。
結婚前から3日おきには届いていたという150通ものラブレターが、テル子さんの宝物になっていました。
ラブレターを読み返しながら、テル子さんはご主人と対話しているとのこと。
手紙を読めば元気が出て、前に向かう力に変わっていくと言います。
“照子の将来の幸せを、いつまでも祈っています”
70年以上前に最愛の夫が書き残した最後の言葉が、今もテル子さんの心の中にしっかりと刻み込まれています。
そのテル子さんが出会って75年目にして、亡き夫に宛ててラブレターを書きました。
“政明さん
97歳になりますが、私は元気です。
機会を作ってもう一度あなたに会いに行きたい、という気持ちが湧き上がるのを、抑えようもありません。
今年は、あなたと出会って75年目になるのですね。
いまも私は折に触れ、150通のラブレターを読み返しています。
それが元気の秘訣でもあるからです。
私は戦死の公報をいただいてから、医師の資格を取り今日まで働いてきました。
不思議なことに、あの世でも来世でもなく、貴方にいつかこの世で会えるのではないか、という希望を持って生きてきました。
(中略)
いつか貴方が私のところへ帰って来ることがあれば、
私は何と声をかけたらよいのでしょう。